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2026.07.10 Fri

弘法山古墳が日本最古級と判明!卑弥呼の時代を物語る前方後方墳の新発見を徹底解説【50年ぶり再調査】

 
弘法山古墳のイメージ
 
複数の気になる記事を見つけたので、まとめて調べてみました。今回取り上げるのは、情熱電力の地元、松本市の標高652メートルの尾根上に築かれた前方後方墳「弘法山古墳」についての最新ニュースです。1974年の発掘調査からおよそ50年ぶりに行われた再調査の結果、築造時期がこれまでの推定よりさらに50年ほどさかのぼることがわかり、なんと卑弥呼が活躍したとされる時代と重なる可能性が出てきました。学校の教科書で習った「古墳時代」のイメージが少し変わるかもしれない、そんな発見です。私たちは日々の暮らしに欠かせない電力をお届けする仕事をしていますが、地域に根ざした事業者として、こうした足元の歴史にもとても興味を惹かれました。今回はニュースや公的機関の情報をもとに、弘法山古墳の魅力と今回の発見のポイントをわかりやすく整理してご紹介します。
 


 
目次

 


 

1. 弘法山古墳ってどんな古墳?基本情報をおさらい

弘法山古墳は、国の史跡に指定されている前方後方墳です。標高652メートルの尾根上にあり、頂上からは市街地や北アルプスの山並みを一望できる、いわゆる「国見ヶ丘」のような立地にあります。
古墳としての規模は全長およそ61.7〜66メートルとされ、後方部は幅36メートル・長さ34.2メートル、前方部は幅24.7メートル・長さ27.5メートルほど。後方部の中央には、河原石を積み上げてつくられた竪穴式石室状の「礫槨(れきかく)」があり、ここに被葬者が安置されていたと考えられています。
 
発見されたのは1974年(昭和49年)のこと。学校用地の造成に先立つ発掘調査がきっかけで、単なる円墳ではなく前方後円墳ではないかという疑いが生じ、保存を前提とした継続調査が行われました。その結果、当時は県内で唯一の前方後方墳であることが判明し、翌々年にはスピード史跡指定を受けるほど、学術的に注目される存在となりました。
 
・国指定史跡(指定年月日:昭和51年2月20日)
・墳形:前方後方墳
・全長:約61.7〜66メートル
・埋葬施設:竪穴式石室状の礫槨
・発見:1974年(昭和49年)
 


 

2. 50年ぶりの再調査で分かった衝撃の事実

弘法山古墳は、2020年から史跡としての価値を高める目的で再調査が始まりました。古墳の正確な形状を測量し直すとともに、1974年の調査で出土した副葬品を、現代の考古学的な研究手法を用いて改めて分析するというものです。この再調査によって、これまでの定説を塗り替える新たな事実が明らかになりました。
 
 

 卑弥呼の時代と重なる新たな築造年代

これまで弘法山古墳は3世紀末(古墳時代初期)に造られたとされてきました。しかし今回の再調査により、実際の築造時期はさらに50年ほどさかのぼる3世紀前半から半ばごろだったことが判明しました。
これは、中国の史書に登場する邪馬台国の女王・卑弥呼が活躍していたとされる時代とほぼ重なります。学校の教科書にも登場する、あの有名な時代に、すでにこれほどの規模の古墳が築かれていたというのは、なんともロマンを感じる話ではないでしょうか。
 
 

 奈良県・箸墓古墳よりも古い可能性

「古墳時代」という区分は、奈良県にある箸墓古墳が造られて以降を指すことが多いとされています。ところが今回の分析で、弘法山古墳は箸墓古墳よりも一段階古い時期に位置づけられることがわかりました。
つまり弘法山古墳は、東日本に限らず日本全体で見ても最古級の古墳の一つである可能性が高いということです。考古学において初めて古墳と呼べるものが出現した時期とほぼ同じころに、これほど立派な墳丘が造られていたことは、大きな驚きをもって受け止められています。
 
以下に、1974年の調査結果と今回の再調査結果を比較した表をまとめました。
 

項目 1974年の調査結果 2020年以降の再調査結果
築造時期 3世紀末(古墳時代初期) 3世紀前半〜半ば
位置づけ 東日本最古級 日本全体でも最古級の可能性
全長 推定値 約61.7メートルと正確な形状が判明
比較対象 奈良県・箸墓古墳より一段階古い

 


 

3. 埋葬された人物の手がかりは東海地方の土器

弘法山古墳に眠っているのはいったいどんな人物だったのでしょうか。出土品そのものから直接的に身元がわかっているわけではありませんが、大きな手がかりとなっているのが石室上から見つかった多量の土器です。
 
これらの土器は、この地方に古くからあった様式ではなく、愛知県など東海地方に特徴的な様式のものばかりだったといいます。専門家は、被葬者が東海地方と深い関わりを持つ人物、もしかすると東海地方から移り住んできた人物だったのではないかと推測しています。
 
さらに興味深いことに、周辺の遺跡からも同様の特徴を持つ土器が多数出土しており、古墳の築造に関わった人々の集落があった可能性も考えられています。1800年ほど前、遠く離れた地域とのつながりを持ちながら、この尾根の上に大きな墳丘を築いた人々がいたと想像すると、歴史の奥深さを感じずにはいられません。
 


 

4. 桜の名所としての顔も持つ弘法山古墳

弘法山古墳は、貴重な史跡であると同時に、春になるとサクラが古墳を取り巻くように咲く、県内有数の花見スポットとしても親しまれています。1982年(昭和57年)には史跡公園として整備され、多くの人が訪れる憩いの場になっています。
頂上からの眺めは200度以上に広がり、遠くに連なる山並みまで見渡せる絶景ポイントでもあります。当時の人々もこの眺望に癒やされながら、大きな墳丘を築き上げていたのかもしれません。歴史散策とお花見を同時に楽しめる場所として、訪れる価値は十分にあると言えるでしょう。
 


 

5. 今後の活用計画と地域の受け止め

今回の再調査結果を受けて、行政も古墳の価値をさらに広めていこうという動きを見せています。市長は「東日本に限らず、西日本も含めた日本全体で最古級、最も古い時代の古墳の一つ」と述べ、地域を代表する歴史的資産の一つとして位置づける考えを示しました。
これまでは戦国から江戸初期にかけての歴史的価値が注目されがちでしたが、古墳時代までさかのぼる歴史にも多くの人が興味を持てるよう、活用方法の検討が進められています。実際に訪れた人からは「ロマンがあって良い」「観光客が増えるとうれしい」といった声も聞かれ、地域の新たな魅力として期待が高まっているようです。
 


 

6. 古代史を知ることで見えてくる、足元の魅力

普段何気なく過ごしている場所に、実は1800年近くも前の歴史が眠っている。
 
—そう考えると、見慣れた景色も少し違って見えてくるのではないでしょうか。弘法山古墳の再調査は、私たちが暮らす足元の土地に、教科書に載るような古代史の舞台があったことを改めて教えてくれる出来事でした。
私たち情熱電力も、毎日の暮らしを支える仕事を通じて、この土地に根を張って活動しています。だからこそ、こうした地域の歴史や文化に関するニュースにも、これからも注目していきたいと思っています。
 


 
まとめ
今回は、約50年ぶりの再調査によって新たな事実が判明した前方後方墳「弘法山古墳」についてご紹介しました。1974年の発掘調査では3世紀末・東日本最古とされていましたが、現代の考古学的手法による再分析の結果、実際の築造時期は卑弥呼が活躍したとされる3世紀前半〜半ばごろまでさかのぼり、奈良県の箸墓古墳よりも一段階古い、日本全体で見ても最古級の古墳である可能性が高いことがわかりました。出土した土器からは東海地方との深いつながりもうかがえ、遠く離れた土地とのつながりを持ちながら生きた古代の人々に思いを馳せると、被葬者の人物像にも想像が膨らみます。桜の名所としても親しまれるこの古墳は、標高652メートルの尾根から北アルプスまで見渡せる絶景スポットでもあり、今後さらに活用方法が検討されていく予定です。教科書で習った古代史が、実は身近な場所にもつながっていたと知ると、いつもの景色が少し違って見えてくるかもしれません。歴史散策がてら、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
 


 
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この記事に関連するページリンク
・松本市:公式ホームページ →「弘法山古墳」と検索
・文化庁:文化遺産オンライン「弘法山古墳」