お知らせ

INFO

2025.11.27 Thu

えっ、マジか!!長野市に油田!? 日本初の石油会社が信州にあった驚きの歴史

 
長野県 長野 信州 地図
 
長野県の地元紙信濃毎日新聞に「日本初の石油会社は長野県にあった」という気になる記事があったので調べてみました。
「え、長野で石油?」と驚かれる方も多いのではないでしょうか。実は、長野市にはかつて石油を採掘していた「浅川油田(あさかわゆでん)」という場所があり、しかも日本で初めての石油会社も長野で設立されていたというのです。
石油といえば新潟や秋田、あるいは中東のイメージが強いですが、まさか我がふるさと信州と石油が、それも「日本初」という形で結びつくとは…。
これは地元の人間として見逃せないトピックです。今回は、信州の知られざる「エネルギーの歴史」について、詳しくご紹介します!
 


 
今も長野市に残る「浅川油田」跡
その痕跡は、今も長野市にひっそりと残されています。長野市街地から戸隠方面へ向かう「浅川ループライン」の道路脇に、「浅川油田」跡があります。
記事によると、この油田は江戸時代末期の1847年(弘化4年)に起きた「善光寺地震」で石油が吹き出したと伝えられています。当時の記録では、その光景が「新地獄」と呼ばれていたそうです。地震がきっかけで、大地に眠る資源が姿を現したのですね。
 

日本初の石油会社「長野石炭油会社」の誕生

この浅川油田の石油に注目した人々が、1856年(安政3年)に採掘に成功。そして明治時代に入り、1871年(明治4年)には、この油田をもとに日本初の石油会社「長野石炭油会社(ながのせきたんゆかいしゃ)」が設立されました。
驚くことに、精製所は長野市のかるかや山(西光寺)の境内に設けられたとのこと。まさに長野市街地のすぐそばで、日本近代化の礎となるエネルギー産業が産声を上げていたのです。
 
なぜ信州に石油が?フォッサマグナとの関係
しかし、なぜ海のない信州で石油が採れたのでしょうか。 その鍵は、日本列島を東西に分ける巨大な溝「フォッサマグナ(Fossa Magna)」にあります。
元記事にもありますが、フォッサマグナ(長野県もその一部です)は、かつて海の底でした。そこにプランクトンなどが大量に堆積し、長い年月をかけて石油の成分となったのです。
さらに、石油や天然ガスが溜まりやすい「背斜構造」と呼ばれる地層が、新潟県から秋田県、そしてこの信州の一部にかけて広がっています。浅川油田は、まさにその恩恵を受けて誕生した「信州の資源」だったのです。
 
まとめ
「日本初の石油会社が長野にあった」という事実に、驚かれた方も多いのではないでしょうか。
長野市に今も残る「浅川油田」の跡地は、信州が持つ多様な地下資源の可能性と、明治時代の日本の近代化を支えたエネルギー産業の「はじまりの地」の一つだったことを、私たちに静かに伝えています。
お近くを通る際は、信州の意外な歴史に思いを馳せてみるのも面白いかもしれません。
 
情熱電力からのお知らせ
明治時代、浅川油田で採れた石油は、日本を近代化させるための重要な「情熱」のエネルギー源でした。
時代は変わり、現代の暮らしと産業を支えるエネルギーの主役は「電力」です。
私たち情熱電力は、信州の皆様の暮らしやビジネスに、途切れることのない安定した「情熱」の電力をお届けすることを使命としています。エネルギーの歴史に敬意を払いつつ、未来の信州を灯すクリーンな電力供給に取り組んでまいります。
信州のエネルギーのことなら、ぜひ情熱電力にご相談ください!
 
情熱電力のこのお知らせページでは、
情熱電力が注目した電気に関連した様々な事柄をピックアップして掲載させていただいております。
弊社では、随時、このページを更新して参りますので
ご興味を持たれた方はまたこのサイトにお越しいただければ幸いです。
 
それではまた!!
 


 
この記事に関連するページ
浅川油田について(Wikipedia)
フォッサマグナミュージアム
長野の燃える水(長野市デジタルミュージアム)
 
この記事に関連する情熱電力の過去記事
長野県の千曲市と南信州が世界に選ばれた!「持続可能な観光地TOP100」の魅力を徹底解説!
え、あのCMって松本だったの!?日清焼そばU.F.O.のロケ地に丸ノ内中学校が選ばれた納得の理由
長野県白馬村で発見!ビル・ゲイツも注目する「天然水素」が日本のエネルギーを変える可能性とは?